1997年、僕は竹中直人さん初監督作品の映画『東京日和』を観た。
このレコードは大貫妙子が音楽を手掛けた映画『東京日和』のサウンドトラック・アルバム。坂本龍一が参加している。
当時の僕はこの映画を観、サントラを聴いた衝撃で完全に頭がくらくらしていた。
東京の世田谷あたりの風景の中に自分の体が溶けていくような感覚になり、それ以降まるで定点が定まらず、東京独特の熱帯の夏の中に迷い込み永遠に旅を続けているような日々を過ごすことになる。
1998年、初めて所属した中目黒の音楽事務所バウハウスの社長月野清人さんが連れて行ってくれたバー、この映画の中で中島みゆきがママを演じるシーンが出てくるが、そこが新宿ふらてだった。
ひろみさんのお店で、バーテンダーはWOOP(ウップ)さん。
23歳の僕はすっかりこのお店の虜になり、それから20年に渡りよく通った。
ここで本当に沢山の人に出会った。
映画監督、小説家、カメラマン、舞台俳優、ミュージシャン、業界関係者までありとあらゆる文化系の大人達がいた。
あるときは竹中直人さんが来られ「今後舞台やるんで来てよ」と自分でチラシを配っていたところに遭遇し、かっこいい!と感激したものだ。
僕はこの映画もふらてもとても大好きだった。
バーテンダーのWOOPさんは僕より二回り年上で寅年生まれのジャズギタリストだった。
新宿通り、伊勢丹の前を戦車が走っていた頃の話をよく聞いたものだ。
「あたしたち寅年仲間だね」と笑いながら、お客が帰り、営業終わりまで一人で飲んでいた僕と、深夜一時頃から一緒に一杯飲みにいくことも少なくなかった。
ご本人のオリジナルバンド、「WOOP BAND」に誘われギターコーラスで参加させていただき、シアターPOOでのライブや、札幌ベッシーホールでも一緒に思い出深いライブをやった。
2014年6月 新宿ふらて ウップさんと
その後WOOPさんがバーテンダーを引退されてからしばらくしてコロナ禍になり、僕も例に漏れず外に飲みにいくことがなくなり新宿のバーにも行かなくなっていた。
今年になってから、WOOPさんが2年前に亡くなられていたことを突然知った。
コロナ禍の最中、父が亡くなった時期と同じだったのかもしれない。
このレコードを聴くと僕はふらてで出会った人達やWOOPさんと話した20年近くの様々な記憶が呼び起こされる。
暖かな涙が溢れてきて、最初から何度も聴いてしまう。僕にとってとてもとても大切なレコード。
夏が来るまでに、会いに行こうと思う。
いつものように笑って迎えてくれるような、そんな気がする。
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