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Farewell 2023.

ドイツから届いた、どこまでもメロウなレコード。

今年は、キース・ジャレットと合わせ、カーラ・ブレイのレコードをたくさん探して聴いた。

なんて愛しい音楽なんだろう。


Carla Bley has always been one for fairly straightforward titles. This 1987 release features her music and playing as accompanied by five additional musicians. A late night feel pervades SEXTET, which is a bit like a more laid back version of her DINNER MUSIC album. This time out, Bley dispenses with horns and primarily gives the melody lines to guitarist Hiram Bullock and pianist Larry Willis. (出典:Tower Records Online)


函館のJazz喫茶バップから届いたメッセージ。

2023年9月の函館でのLive Tourで船橋吉次さんと立ち寄ったバップで、私たちはキース・ジャレットの話で盛り上がった。

キースが演奏した、ボブ・ディラン「My Back Page」 について。

その日を境に、私はジャズのピアノソロを以前よりよく好んで聴くようになった。

敬愛するマスター松浦さんの奥様より光栄にもジャズのレコードご紹介のLINEのやり取りが叶うようになり、心が暖かく震える日々。

数日ごとにいくつかの書簡のやり取りがなされ、話は尽きない。

渋谷にいながら、まるでバップのカウンターにいるかのような気分になる。


様々なジャズのアルバムをレコードで購入し、私のレコードの棚にはキースがとても増えた。

jasmin. このアルバムは残念ながらレコードはリリースされていないようなので、新たに揃えたCDプレーヤーと、自宅のレコーディングシステム Model12から聴いている。

ぜひレコードで聴きたいアルバムの一つ。


愛しいまでのキース・ジャレットとチャーリー・ヘイデンのデュオ。

美しすぎる邂逅。

私と私の愛すべき友人達との邂逅。


近いうちにまたお店に伺います。


ジャズ・ピアノの最高峰キース・ジャレットと、ベースの巨匠チャーリー・ヘイデンとの奇跡のデュエット・アルバムが、キース・ジャレット65歳の誕生日(2010年5月8日)に合わせてリリース!1960年代後半から約10年間、キースのトリオやアメリカン・カルテットで活動を共にしてきた2人の邂逅。キースの自宅のスタジオで、有名なジャズ・スタンダードを題材に、親密で心温まる演奏を繰り広げます。2007年3月録音。( 出典:Tower Records Online)



最高のクリスマスアルバム。

ネヴィル・ブラザーズで活躍する傍らで、精力的にソロ活動にも取り組んできたアーロンの、ソロ・アルバム6作目にして初のクリスマス・アルバム。スタンダード・ナンバーから、賛美歌、コンテンポラリー・ナンバーまで、幅広い楽曲をソウルフルに歌いこなす。1993年リリース。(ユニバーサル・ミュージック)


残念ながらアナログ盤はなく、CDのみのリリース、長らく廃盤になっていたけれど、2022年にCD再発され現在は入手できる模様。


クリスマスソングはたくさんある中で、個人的に最も好きなクリスマスアルバム。



60年代からモータウンの代表的アーティスト、スティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイ、ジャクソン5、シュープリームスらのバックを務め、同時にアレサ・フランクリンやレイ・チャールズ、バリー・ホワイトといったソウル〜R&Bシンガーたち、クインシー・ジョーンズやクルセイダーズ、マリーナ・ショウといったジャズ・アーティスト、そしてキャロル・キングや日本のDreams Come Trueに至るまで、ジャンルを越えた大物たちを広くサポートしてきた稀代の名ギタリスト、デヴィッド・T.ウォーカー。

僕は19歳の時にデヴィッド・T.ウォーカーのライブを初めて観た。

1993年 神戸メリケンパーク、フィッシュダンスホールで開催された、ニューオリンズのミュージシャンが一堂に会する「神戸国際アーバンジャズフェスティバル」。

当時、神戸・北野ローズガーデンにあったライブハウス「T2楽屋」でバイトしていた頃で、一緒に働いていたバーテンダーの中里日出男さんと当時のお客さんと、また別日は友人の鹿島学さんと一緒にライブに行ったことを覚えている。

ワイルドマグノリアス、ザ・ファイブ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、マーヴァ・ライト、そしてデヴィッド・Tウォーカー。ヴォーカルなしのギターだけのライブで初めて涙したことを覚えている。ニューオリンズのジャズやブルース、ファンクに夢中になっていた僕にとって、国内で開催されたこれほど豪華なコンサートはこの後にも先にも思いつかない。最終日は、ステージから客席に降りてきて歌い続けるザ・ファイブ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのメンバーと抱き合って歌った、最高のライブだった。

出典:コンベンションKOBE 1993.9月号


その後、僕は2回ほど東京でデヴィッド・Tウォーカーの来日に合わせたライブに行くことができた、ライブが跳ねた後、握手を求めると笑顔で暖かく手を握ってくれたその手がとても分厚くて優しかったことが今でも忘れられない。


デヴィッド・T.ウォーカーのクレジットされているアルバムは今でも見つけたら全て購入するようにしているが、CDしかないものや日本盤しかないものも多く、レコードではなかなか揃えることができない中、比較的手に入れることができる可能性が高い名盤。


”1973年にリリースされたOdeレーベルからの第2弾であり、デヴィッド・Tウォーカーの通算5枚目となるアルバム。彼のアルバムの中でもファンに“これぞ名盤”と言われ、最もCD化が熱望されていた最高傑作が遂に初CD化!全10曲中9曲がカヴァー。ハービー・メイソン(ds)、チャールズ・ラーキー(b)、ボビー・ホール(perc)、そしてジョー・サンプル(key)といった強力メンバーがサポート。全曲にわたり個性的なアレンジと彼のフレーズ満載の名演のオン・パレード! ”

引用:タワーレコード (2009/04/08)



フィラデルフィアのヴォーカル・グループ、スタイリスティックスのファースト・アルバム。

10代の頃夢中になった、いわゆるフィリーソウルのヴォーカルグループ。

HUMAN SOULのライブに通い、神戸元町のアップルレコードの店主高橋さんや三宮のソウルバーBooze-UPの方に教えてもらいながら、知らない国のソウルミュージックのCDを買って聴くのが大好きだった。


そして30年経って、今同じ曲をCDではなくレコードで聴いている。

先日、購入したスタイリスティックスの日本盤レコードの解説を読んでいたら、個人的なことだが、スタイリスティックスは、僕が生まれた日、1974年1月に中野サンプラザで初来日コンサートをしていたという事実を初めて知って目を疑った。

とても遠くの国の、憧れのグループが、自分の生まれた日に、近所の中野で歌っていたなんて。

なんだか急に親近感が芽生えてくる。


グループが初来日で歌った中野サンプラザは今月閉館となった。当時、あの会場で、どんな思いで歌っていたんだろうか、メンバーで中野サンモール商店街をぶらついたのかな。当時中野に住んでいたという今は亡き祖父はこのコンサートのことを知っていたのだろうか。当時の東京はどんな雰囲気だったんだろうか、レコードを聴きながら思いを馳せてしまう。


名曲揃いのファーストアルバム、中でもやっぱりB面のYou Are Everythingをかけてしまう。

B1「You Are Everything」


歌詞も好き、本当に素敵な歌。

2002年函館港イルミナシオン映画祭、あがた森魚さん船橋吉次さん達と名曲「大寒町」をご一緒させていただいてから21年。函館でたくさんの出会いがあり、思い出があります。そして4年ぶりの函館ライブが実現することになりました。

皆様、9月9日は函館BAND WAGONでお会いしましょう。


出演は、船橋吉次さんとカルロス鈴木さん、ご子息の拓也さんのFrobel gifts、サウダージスタジオの荒良木さん、三浦さん、そしてMCには赤帽子屋のミッキーさんもご一緒です。会場は大好きなライブハウス、BAND WAGON。

今回は船橋吉次さんプロデュース、ラテン音楽をテーマとのこと、サンバやボサノヴァ、またスペシャルゲストもいらっしゃるかもしれません。

とっても楽しみです。

[追記] NATURAL CURE のSound Producer 平野伸彦さん(per.)の出演が決定しました。

[追記] Live映像です。撮影くださったMakiさんありがとうございました。


サンバの大名盤、いつまでも色褪せない音楽。


2000年、ドラマーであり音楽プロデューサー平野伸彦さんに教えてもらった、サンバの名盤。

アナログレコードで聴くとCDに比べて瑞々しいコーラスが蘇り、サンバの巨匠たちがまるですぐそばで歌っているかのように聴こえてくる。

解説にある中村とうようの言葉通り「本物のサンバ」なのだろう。

僕はこのレコードでネルソン・カヴァキーニョがとても好きになった。

この時代を共に生きたブラジルの人々の喜びや哀しみや人生の重みのようなものを感じる。


コロナ禍の最中、渋谷・西原のエラレコードでアナログを見つけ購入、先日平野さんにプレゼントした大切なアルバム。



マイルスの死後に発売された遺作。ラッパーのイージー・モ・ビーとのヒップ・ホップ・ジャズ。

18歳、車の免許を取った僕は、よく父の車トヨタ・コロナを借りて一人高速道路に乗って神戸・北野に行っていた。

このアルバムをCDからカセットテープに録音しカーステレオでかける。一人で車で聴くのにぴったりだった。

神戸・須磨インターチェンジから第二神明に乗って西へ向かうと、垂水あたりで下り坂になりとても夜景が綺麗に見える場所がある。

僕はこの景色が好きで、高速道路を降りるまでの20分程度の時間はいつもこのカセットをかけるようにしていた。


A1. Mystery

A2. The Doo-Bop Song

A3. Chocolate Chip

A4. High Speed Chase


B1. Blow もひたすらかっこいい。


30年経った今もよく車で聴いているが、この度ようやくアナログの新品未開封オリジナル盤を入手できた。

改めてアナログで聴くと、CDに比べしっかりとした太い音でこれまで聴こえてこなかった音が生き生きと再現され、よりクールに聴こえてくる。

全く色褪せないヒップ・ホップ・ジャズ。

マイルス本人がクラシックジャズではなく最後まで挑戦を続け、遥か先をいくこの衝撃的な作品を残したことについて、僕は最高にかっこいいと思う。

レコードジャケットを眺めながら、当時アメリカで最前線の音楽シーンの渦中にいてこのアルバムを録音し、完成盤を見ることができずに亡くなったマイルスの人生にも思いを馳せてしまう。

本当に素晴らしい。

1994年リリースのBNH名盤3rd.アルバム。

お茶の水でアナログレコード見つけ購入。

もうこれは新品では手に入らないのではなかろうか。

当時は僕はそんなに好んで聴いてはいなかったのだけれど、周りの19,20歳ジャズプレーヤー達には皆好かれ聴かれていた記憶がある。

バンドで代々木のスタジオに入ると、決まってA1.Have A Good Time で音合わせしてた。

C1.Keep Together も好き。

CDでしか聴いたことはなかったけれど、レコードで聴くと、この録音とBOSEのスピーカーとの相性がいいのかスネアの音がとても良い。

2023年の今、とても良い。

その後新宿で比較的状態の良いものを見つけ2枚目購入。

良い。

BOBBY WOMACK の最高傑作の呼び声高い、全米R&Bチャート1位を獲得した名盤。

僕はB面ばかり聴いている。

特にB面2曲目のDavid T. Walkerのギターリフが好き。

新宿三丁目でいつもリクエストしてかけてもらっていた思い出の曲。

B2.If You Think You're Lonely Now

1997年、僕は竹中直人さん初監督作品の映画『東京日和』を観た。

このレコードは大貫妙子が音楽を手掛けた映画『東京日和』のサウンドトラック・アルバム。坂本龍一が参加している。

当時の僕はこの映画を観、サントラを聴いた衝撃で完全に頭がくらくらしていた。

東京の世田谷あたりの風景の中に自分の体が溶けていくような感覚になり、それ以降まるで定点が定まらず、東京独特の熱帯の夏の中に迷い込み永遠に旅を続けているような日々を過ごすことになる。


1998年、初めて所属した中目黒の音楽事務所バウハウスの社長月野清人さんが連れて行ってくれたバー、この映画の中で中島みゆきがママを演じるシーンが出てくるが、そこが新宿ふらてだった。

ひろみさんのお店で、バーテンダーはWOOP(ウップ)さん。

23歳の僕はすっかりこのお店の虜になり、それから20年に渡りよく通った。

ここで本当に沢山の人に出会った。

映画監督、小説家、カメラマン、舞台俳優、ミュージシャン、業界関係者までありとあらゆる文化系の大人達がいた。


あるときは竹中直人さんが来られ「今後舞台やるんで来てよ」と自分でチラシを配っていたところに遭遇し、かっこいい!と感激したものだ。

僕はこの映画もふらてもとても大好きだった。


バーテンダーのWOOPさんは僕より二回り年上で寅年生まれのジャズギタリストだった。

新宿通り、伊勢丹の前を戦車が走っていた頃の話をよく聞いたものだ。

「あたしたち寅年仲間だね」と笑いながら、お客が帰り、営業終わりまで一人で飲んでいた僕と、深夜一時頃から一緒に一杯飲みにいくことも少なくなかった。

ご本人のオリジナルバンド、「WOOP BAND」に誘われギターコーラスで参加させていただき、シアターPOOでのライブや、札幌ベッシーホールでも一緒に思い出深いライブをやった。

2014年6月 新宿ふらて ウップさんと


その後WOOPさんがバーテンダーを引退されてからしばらくしてコロナ禍になり、僕も例に漏れず外に飲みにいくことがなくなり新宿のバーにも行かなくなっていた。


今年になってから、WOOPさんが2年前に亡くなられていたことを突然知った。

コロナ禍の最中、父が亡くなった時期と同じだったのかもしれない。

このレコードを聴くと僕はふらてで出会った人達やWOOPさんと話した20年近くの様々な記憶が呼び起こされる。

暖かな涙が溢れてきて、最初から何度も聴いてしまう。僕にとってとてもとても大切なレコード。


夏が来るまでに、会いに行こうと思う。

いつものように笑って迎えてくれるような、そんな気がする。